東京工業大学名誉教授 芳賀 綏
芳賀綏です。
オバマ大統領の就任からもう100日以上経ちました。その間2月に、議会で最初の施政方針演説がありましたが、あの議場の情景をテレビ中継で見て、私は大変羨ましいと思いました。
議場が歓迎と祝福のムードに満ち溢れている。共和党の議員でも次々と握手を交わしました。議長までが演説の途中で立ち上がって拍手する場面が何度もありました。議会の心が一つになっている、つまり国が一つになった瞬間、素晴らしい。
しかも、なお素晴らしいのが、けじめのない馴れ合いではないという事なんです。あれだけ祝福した共和党の議員たちは、演説が終わると内容についての批判は次々と発しています。これがフェアプレーです。相手方の人格を尊重しながら争う、議会政治の精神的基盤を見ました。確立されていることを感じました。
日本は、大統領制をとっているアメリカとは事情が違いますので、同じにはいきませんが、それにしても、日本の今の議会は、何かみみっちいし、水臭いですね。度量が小さい。そもそも、武士道の国と言いながら、日本は政治の争いに、今、礼節があるのだろうか、品格があるのだろうか、大らかさもないと思います。
議会の先進国イギリスの話ですが、昔、確かボールドウィン内閣の時だったと思います。第何次の内閣か忘れましたがね。与野党が行き詰る攻防で、にっちもさっちもいかないというような行き詰る毎日が続いていた。ある日、一人の議員が動議を出しました。「今日は首相の誕生日だ。せめて今日ぐらいは、総理が家族とゆっくり過ごせるように、議事を早く切り上げようではないか」。ほのぼのとしてますね。大きいですよ。雅量があります。政治家である前に、人間なんですね。
日本でも、30年余り前までは、例えばこんな習慣があったんですよ。新しく議長が決まるとか、与野党のリーダーが新しく登場するとかしますと、新聞はライバル側の大物政治家に文章を書いてもらって、それを掲載したんです。
つまり、新しい人にエールを送り、かつ注文をつけるという文章です。これはただの儀礼ではない。儀礼ではない。冷めた批評が人物を見る洞察力を必要とします。そして、ふくよかな人間愛があってこそできること。当時ね、これをやれる名人芸の持ち主は、与党では何と言っても、前尾繁三郎。そして、野党では三宅正一。両雄、双璧でした。
人間味と言いますと、大宰相と言われた原敬も、吉田茂も、シャイな人ではにかみ屋だったんですね。だから、自己顕示は苦手だった、嫌った。底の浅いパフォーマンスで品格を下げるようなことはありませんでした。
日ソ交渉をやった総理、鳩山一郎も、若い大臣の頃、母校の卒業式に来賓として臨むと、「私はここの生徒ですから」と言って、檀場の来賓席には絶対につかなかったと言います。ゆかしいですね。
この奥ゆかしさということを考えていくと、私が思い起こすのは、50何年か前の、梅雨時のある曇り日です。食事をするのにてんぷらのお店に入りました。そこに銀髪の紳士が一人で腰かけて、その頃100円の天丼を静かに食べておりました。横顔ですぐわかりました。野党のリーダー右派社会党の十字架委員長と呼ばれていた、河上丈太郎氏だとわかりました。
その頃は、野党の党首にはSPさんがついてないんです。警官がついてないので、一人っきりで静かに食事してました。
「あ、河上委員長がいるよ。いいねえ、一人っきりでこういうところで」。この客のささやきが耳に入るんですね。もうそれだけでも、恥ずかしそうに、河上さんは面を伏せて、勘定を済ます。全身にはにかみを漂わせながら、曇り日の銀座の町へ足を運んで去りました。そのポケットには、肌身離さない小型のバイブルが入れてあったに違いありません。
物静かに後ろ姿で感化する指導者であった河上丈太郎氏は、けじめに厳格な人だった、折り目正しい人でありました。のちに総理大臣になった宮澤喜一氏が、その頃まだ若い参議院議員でしたが、宮澤さんが特急に乗ったら、偶然同じ列車で河上さんと乗り合わせた。河上委員長が腰かけていた。宮澤さんを認めて、「よう」と声をかけた河上さんは、その後ろに宮澤夫人がいるのに気がつくと、すっと立ち上がって、「河上です。はじめまして」。丁重にお辞儀をした。若い宮澤議員は「河上先生から受けた無言の教えである。私のようにいろいろのことについて、河上先生から無言の教えを受けた人は、数限りなくあるだろうと思う」と書いております。
党派を超えて、無言で教える政治家。そして、そこから学ぶ若い議員。今の日本ではどうなんでしょうね。
野党のリーダーとしての河上丈太郎氏は、国会の予算委員会では、時の総理に向かって、切々と説き、諄々とさとす発言をしました。議場は水を打ったような静けさになりました。天の声だと評する言葉も発せられました。
また、別の野党を率いた西尾末広という大物政治家がおりましたが、西尾さんもテレビの討論などでは、時の現職総理に対して戒めたり、忠告したりする発言をしておりました。これらは全て、人間の重みからできることである。人間の重みがあってできること。人格の力は党派を超えるのですね。
西尾末広氏もけじめに厳格な作法をおろそかにしない人で、私も1時間ほどの面会の間に、深く感じ入ることがいくつかありました。私は46歳の教師。西尾さんは83歳、政界を引退しておった。この大元老が、私が上着を取らなければ、暑いのを我慢して上着を着ている。こう人でありました。人間の重み、人格の力。こういうところに政治の魂を見る思いがしました。
今でも、政治の魂をみたいですね。それは日本そのものの品格を高めることであるからですが、これを求めるのは私だけでしょうか。